はじめまして、今年の五月に入社しましたSS部の秦と申します。
前回の辻本さんに引き続き、留学していた時のことを書いていきたいと思います。
会社人になる前に一時期、西洋はフランスに滞在していた期間がありました。
フランスの首都パリ、というとグルメとか、ファッションとか、音楽とか、の留学が多いですが、私の場合はアールヌーボーが好きすぎてとりあえず行ってみた、というあまり高尚ではない理由でした。
上記のことを語ると文字数的にも大変なことになるので置いておいて、(本場はベルギーだそうです。この辺りもとりあえず感満載です)今回は街の話をしたいと思います。
パリというと、まず出てくるイメージはどこまでも続く高い白い建物の美しい街並みですが、つい150年前までこの街は水道も下水もなく、ほったて小屋が立ち並び、伝染病が蔓延する不衛生な土地でした。
女性にハイヒールが流行ったのは道中のゴミを避けるため…なんて楽しくない都市伝説が出てくるくらいの有様だったそうです。
それを当時の県知事は憂い、汚いなら大掃除してしまえばいいじゃないとばかりに大規模な都市改革を立てて作られたのが今の街になります。
東京都知事が今、山の手線圏内の全ての家を改装して、大きな公園ときれいな街並みを実現します!なんて言ったらいろいろと大騒ぎです。
(パリは山の手より少し大きいくらいだそうです)
その時の好き勝手に立っていた住居をほとんど取っ払い、放射状の道路計画を立て、統一したデザインの石造りの建物で整備したのが現在に残る街の姿です。
全ての道には名前がつけられており、郵便番号も道の片側が奇数、もう片方が偶数、と非常に分かり易いです。
(住んでいた家の裏手)
そんな風に作られた街並み、レストランやカフェは椅子とテーブルが外に出ているのでわかりますが、それ以外はほとんど公共の施設と個人の住居の区別がつきません。
学校だろうが病院だろうが大使館だろうが、みんなこの外観の建物をしています。
内装はなにを自由に改装してもいいですが、外装はそんな歴史がある所為か、ほぼ手を付けることを許されないそうです。
(右の赤い看板がホテル、左の国旗が立っているのが市役所)

上の写真は通っていた現地の学校の入り口です。
外には本当に簡素な表札しかなく、扉をあけてやっと看板(?)が出てくるような感じです。
初めての施設はそれが原因で結構迷います。そして入るのに緊張します。
…その学校では、”コンビニはここからまっすぐ行って角を右に曲がったところです”程度の語学力しかない自分は最初の方は宿題の内容も分からず、そもそも出されたことも理解できず、散々だった思い出です。
建築学科の人が、うちでは新しいもの建てられないから郊外か地方に行くしかない、次々新しいものに入れ替わるアジアの方がずっと良い、としきりにボヤいていました。
どこまでも続く白い街の風景…は確かに素敵ですが、現地人には少し複雑みたいです。
そして、いっぺんに作り上げたものである所為か、現在いっぺんに老朽化の波が来て、耐震や外装修復なども兼ねた工事風景があちこちで見られます。
最近のパリは巨大ショッピングモールが中心の駅地下にできたり、プロジェクションマッピングだけでできた美術館が作られたりと、外側に情熱を向けられない分(?)、中身の魅力的な施設はたくさんありますので、是非観光で行ってみてはいかがでしょうか。
次回のブログは管理部の金子さんになります。
金子さん、よろしくお願いいたします。